「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、私の手際(てぎわ)では旨(うま)くゆかなかったのです。今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。中には話す種(たね)をもたないのも大分(だいぶ)いたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。それが道学(どうがく)の余習(よしゅう)なのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。
 Kと私は何でも話し合える中でした。偶(たま)には愛とか恋とかいう問題も、口に上(のぼ)らないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。それも滅多(めった)には話題にならなかったのです。大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていたのです。いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子を崩(くず)せるものではありません。二人はただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、何遍(なんべん)歯がゆい不快に悩まされたか知れません。私はKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしました。
 あなたがたから見て笑止千万(しょうしせんばん)な事もその時の私には実際大困難だったのです。私は旅先でも宅(うち)にいた時と同じように卑怯(ひきょう)でした。私は始終機会を捕える気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです。私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い漆(うるし)で重(あつ)く塗り固められたのも同然でした。私の注(そそ)ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、悉(ことごと)く弾(はじ)き返されてしまうのです。
 或(あ)る時はあまりKの様子が強くて高いので、私はかえって安心した事もあります。そうして自分の疑いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに詫(わ)びました。詫びながら自分が非常に下等な人間のように見えて、急に厭(いや)な心持になるのです。しかし少時(しばらく)すると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのですから、すべてが私には不利益でした。容貌(ようぼう)もKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。どこか間(ま)が抜けていて、それでどこかに確(しっ)かりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。学力(がくりき)になれば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵でないと自覚していました。――すべて向うの好(い)いところだけがこう一度に眼先(めさき)へ散らつき出すと、ちょっと安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。
 Kは落ち付かない私の様子を見て、厭(いや)ならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません。二人は房州(ぼうしゅう)の鼻を廻(まわ)って向う側へ出ました。我々は暑い日に射(い)られながら、苦しい思いをして、上総(かずさ)のそこ一里(いちり)に騙(だま)されながら、うんうん歩きました。私にはそうして歩いている意味がまるで解(わか)らなかったくらいです。私は冗談(じょうだん)半分Kにそういいました。するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わず潮(しお)へ漬(つか)りました。その後(あと)をまた強い日で照り付けられるのですから、身体(からだ)が倦怠(だる)くてぐたぐたになりました。


「こんな風(ふう)にして歩いていると、暑さと疲労とで自然身体(からだ)の調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います。急に他(ひと)の身体の中へ、自分の霊魂が宿替(やどがえ)をしたような気分になるのです。私(わたくし)は平生(へいぜい)の通りKと口を利(き)きながら、どこかで平生の心持と離れるようになりました。彼に対する親しみも憎しみも、旅中(りょちゅう)限(かぎ)りという特別な性質を帯(お)びる風になったのです。つまり二人は暑さのため、潮(しお)のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。その時の我々はあたかも道づれになった行商(ぎょうしょう)のようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。
 我々はこの調子でとうとう銚子(ちょうし)まで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。まだ房州を離れない前、二人は小湊(こみなと)という所で、鯛(たい)の浦(うら)を見物しました。もう年数(ねんすう)もよほど経(た)っていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、判然(はんぜん)とは覚えていませんが、何でもそこは日蓮(にちれん)の生れた村だとかいう話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二尾(び)磯(いそ)に打ち上げられていたとかいう言伝(いいつた)えになっているのです。それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです。我々は小舟を傭(やと)って、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。
 その時私はただ一図(いちず)に波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺(たんじょうじ)という寺がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な伽藍(がらん)でした。Kはその寺に行って住持(じゅうじ)に会ってみるといい出しました。実をいうと、我々はずいぶん変な服装(なり)をしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠(すげがさ)を買って被(かぶ)っていました。着物は固(もと)より双方とも垢(あか)じみた上に汗で臭(くさ)くなっていました。私は坊さんなどに会うのは止(よ)そうといいました。Kは強情(ごうじょう)だから聞きません。厭(いや)なら私だけ外に待っていろというのです。私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。ところが坊さんというものは案外丁寧(ていねい)なもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれました。その時分の私はKと大分(だいぶ)考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。日蓮は草日蓮(そうにちれん)といわれるくらいで、草書(そうしょ)が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙(まず)いKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内(けいだい)を出ると、しきりに私に向って日蓮の事を云々(うんぬん)し出しました。私は暑くて草臥(くたび)れて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先で好(い)い加減な挨拶(あいさつ)をしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。
 たしかその翌(あく)る晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いて飯(めし)を食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日(きのう)自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私の胸にはお嬢さんの事が蟠(わだかま)っていますから、彼の侮蔑(ぶべつ)に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです。


「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点(しゅったつてん)がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。
 私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、他(ひと)にはそう見えるかも知れないと答えただけで、一向(いっこう)私を反駁(はんばく)しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然(ちょうぜん)としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を虐(しいた)げたり、道のために体(たい)を鞭(むち)うったりしたいわゆる難行苦行(なんぎょうくぎょう)の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか解(わか)らないのが、いかにも残念だと明言しました。
 Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてその翌(あく)る日からまた普通の行商(ぎょうしょう)の態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのです。しかし私は路々(みちみち)その晩の事をひょいひょいと思い出しました。私にはこの上もない好(い)い機会が与えられたのに、知らない振(ふ)りをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと直截(ちょくせつ)で簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、事実を蒸溜(じょうりゅう)して拵(こしら)えた理論などをKの耳に吹き込むよりも、原(もと)の形(かたち)そのままを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だったでしょう。私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、自(おのず)から一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心が祟(たた)ったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。それがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。
 我々は真黒になって東京へ帰りました。帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう小理屈(こりくつ)はほとんど頭の中に残っていませんでした。Kにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう。二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐる眺(なが)めました。それから両国(りょうごく)へ来て、暑いのに軍鶏(しゃも)を食いました。Kはその勢(いきお)いで小石川(こいしかわ)まで歩いて帰ろうというのです。体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。
 宅(うち)へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました。二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変瘠(や)せてしまったのです。奥さんはそれでも丈夫そうになったといって賞(ほ)めてくれるのです。お嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。


「それのみならず私(わたくし)はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが平生(へいぜい)の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを後廻(あとまわ)しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの所作(しょさ)はその点で甚だ要領を得ていたから、私は嬉(うれ)しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに解(わか)るように、持前(もちまえ)の親切を余分に私の方へ割り宛(あ)ててくれたのです。だからKは別に厭(いや)な顔もせずに平気でいました。私は心の中(うち)でひそかに彼に対する□歌(がいか)を奏しました。
 やがて夏も過ぎて九月の中頃(なかごろ)から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは各自(てんでん)の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKより後(おく)れて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの室(へや)に認める事はないようになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。
 たしか十月の中頃と思います。私は寝坊(ねぼう)をした結果、日本服(にほんふく)のまま急いで学校へ出た事があります。穿物(はきもの)も編上(あみあげ)などを結んでいる時間が惜しいので、草履(ぞうり)を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の格子(こうし)をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように手数(てかず)のかかる靴を穿(は)いていないから、すぐ玄関に上がって仕切(しきり)の襖(ふすま)を開けました。私は例の通り机の前に坐(すわ)っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKの室(へや)から逃(のが)れ出るように去るその後姿(うしろすがた)をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に挨拶(あいさつ)をしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような捌(さば)けた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って縁側伝(えんがわづた)いに向うへ行ってしまいました。しかしKの室の前に立ち留まって、二言(ふたこと)三言(みこと)内と外とで話をしていました。それは先刻(さっき)の続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした。
 そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに宅(うち)にいる時でも、よくKの室(へや)の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に引張(ひっぱ)って来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです。


「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私(わたくし)は外套(がいとう)を濡(ぬ)らして例の通り蒟蒻閻魔(こんにゃくえんま)を抜けて細い坂路(さかみち)を上(あが)って宅(うち)へ帰りました。Kの室は空虚(がらんどう)でしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳(かざ)そうと思って、急いで自分の室の仕切(しき)りを開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、火種(ひだね)さえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。
 その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せてくれたりしました。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の間(ま)からKの火鉢を持って来てくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。その日もKは私より後(おく)れて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは大方(おおかた)用事でもできたのだろうといっていました。
 私はしばらくそこに坐(すわ)ったまま書見(しょけん)をしました。宅の中がしんと静まって、誰(だれ)の話し声も聞こえないうちに、初冬(はつふゆ)の寒さと佗(わ)びしさとが、私の身体(からだ)に食い込むような感じがしました。私はすぐ書物を伏せて立ち上りました。私はふと賑(にぎ)やかな所へ行きたくなったのです。雨はやっと歇(あが)ったようですが、空はまだ冷たい鉛のように重く見えたので、私は用心のため、蛇(じゃ)の目(め)を肩に担(かつ)いで、砲兵(ほうへい)工廠(こうしょう)の裏手の土塀(どべい)について東へ坂を下(お)りました。その時分はまだ道路の改正ができない頃(ころ)なので、坂の勾配(こうばい)が今よりもずっと急でした。道幅も狭くて、ああ真直(まっすぐ)ではなかったのです。その上あの谷へ下りると、南が高い建物で塞(ふさ)がっているのと、放水(みずはき)がよくないのとで、往来はどろどろでした。ことに細い石橋を渡って柳町(やなぎちょう)の通りへ出る間が非道(ひど)かったのです。足駄(あしだ)でも長靴でもむやみに歩く訳にはゆきません。誰でも路(みち)の真中に自然と細長く泥が掻(か)き分けられた所を、後生(ごしょう)大事(だいじ)に辿(たど)って行かなければならないのです。その幅は僅(わず)か一、二尺(しゃく)しかないのですから、手もなく往来に敷いてある帯の上を踏んで向うへ越すのと同じ事です。行く人はみんな一列になってそろそろ通り抜けます。私はこの細帯の上で、はたりとKに出合いました。足の方にばかり気を取られていた私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付かずにいたのです。私は不意に自分の前が塞(ふさ)がったので偶然眼を上げた時、始めてそこに立っているKを認めたのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きました。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。彼の答えはいつもの通りふんという調子でした。Kと私は細い帯の上で身体を替(かわ)せました。するとKのすぐ後ろに一人の若い女が立っているのが見えました。近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した後(あと)で、その女の顔を見ると、それが宅(うち)のお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に挨拶(あいさつ)をしました。その時分の束髪(そくはつ)は今と違って廂(ひさし)が出ていないのです、そうして頭の真中(まんなか)に蛇(へび)のようにぐるぐる巻きつけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちか路(みち)を譲らなければならないのだという事に気が付きました。私は思い切ってどろどろの中へ片足踏(ふ)ん込(ご)みました。そうして比較的通りやすい所を空(あ)けて、お嬢さんを渡してやりました。
 それから柳町の通りへ出た私はどこへ行って好(い)いか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くないような心持がするのです。私は飛泥(はね)の上がるのも構わずに、糠(ぬか)る海(み)の中を自暴(やけ)にどしどし歩きました。それから直(す)ぐ宅へ帰って来ました。


「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。真砂町(まさごちょう)で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか中(あ)ててみろとしまいにいうのです。その頃(ころ)の私はまだ癇癪(かんしゃく)持(も)ちでしたから、そう不真面目(ふまじめ)に若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで無邪気(むじゃき)にやるのか、そこの区別がちょっと判然(はんぜん)しない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ方(ほう)でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の嫉妬(しっと)に帰(き)していいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と見傚(みな)してしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたびたび繰り返した通り、愛の裏面(りめん)にこの感情の働きを明らかに意識していたのですから。しかも傍(はた)のものから見ると、ほとんど取るに足りない瑣事(さじ)に、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。これは余事(よじ)ですが、こういう嫉妬(しっと)は愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。その代り愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです。
 私はそれまで躊躇(ちゅうちょ)していた自分の心を、一思(ひとおも)いに相手の胸へ擲(たた)き付けようかと考え出しました。私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です。奥さんにお嬢さんを呉(く)れろと明白な談判を開こうかと考えたのです。しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのです。そういうと私はいかにも優柔(ゆうじゅう)な男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。Kの来ないうちは、他(ひと)の手に乗るのが厭(いや)だという我慢が私を抑(おさ)え付けて、一歩も動けないようにしていました。Kの来た後(のち)は、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。恥を掻(か)かせられるのが辛(つら)いなどというのとは少し訳が違います。こっちでいくら思っても、向うが内心他(ほか)の人に愛の眼(まなこ)を注(そそ)いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中では否応(いやおう)なしに自分の好いた女を嫁に貰(もら)って嬉(うれ)しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく呑(の)み込めない鈍物(どんぶつ)のする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠(うえん)な愛の実際家だったのです。
 肝心(かんじん)のお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちには時々出て来たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういう事は許されていないのだという自覚が、その頃の私には強くありました。しかし決してそればかりが私を束縛したとはいえません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に気兼(きがね)なく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。


「こんな訳で私(わたくし)はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち竦(すく)んでいました。身体(からだ)の悪い時に午睡(ひるね)などをすると、眼だけ覚(さ)めて周囲のものが判然(はっきり)見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。
 その内(うち)年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多(かるた)をやるから誰(だれ)か友達を連れて来ないかといった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時挨拶(あいさつ)をするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して歌留多(かるた)などを取る柄(がら)ではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も生憎(あいにく)そんな陽気な遊びをする心持になれないので、好(い)い加減な生返事(なまへんじ)をしたなり、打ちやっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、内々(うちうち)の小人数(こにんず)だけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手(ふところで)をしている人と同様でした。私はKに一体百人一首(ひゃくにんいっしゅ)の歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方(おおかた)Kを軽蔑(けいべつ)するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では喧嘩(けんか)を始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。
 それから二、三日経(た)った後(のち)の事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって宅(うち)を出ました。Kも私もまだ学校の始まらない頃(ころ)でしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのも厭(いや)だったので、ただ漠然と火鉢の縁(ふち)に肱(ひじ)を載せて凝(じっ)と顋(あご)を支えたなり考えていました。隣(となり)の室(へや)にいるKも一向(いっこう)音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。
 十時頃になって、Kは不意に仕切りの襖(ふすま)を開けて私と顔を見合(みあわ)せました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる回(めぐ)って、この問題を複雑にしているのです。Kと顔を見合せた私は、今まで朧気(おぼろげ)に彼を一種の邪魔ものの如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に坐(すわ)りました。私はすぐ両肱(りょうひじ)を火鉢の縁から取り除(の)けて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。
 Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。私は大方叔母(おば)さんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の細君(さいくん)だと教えてやりました。すると女の年始は大抵十五日過(すぎ)だのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するより外(ほか)に仕方がありませんでした。


「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話を已(や)めませんでした。しまいには私(わたくし)も答えられないような立ち入った事まで聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。その時彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が顫(ふる)えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。平生(へいぜい)から何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせる癖(くせ)がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように容易(たやす)く開(あ)かないところに、彼の言葉の重みも籠(こも)っていたのでしょう。一旦(いったん)声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。
 彼の口元をちょっと眺(なが)めた時、私はまた何か出て来るなとすぐ疳付(かんづ)いたのですが、それがはたして何(なん)の準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。
 その時の私は恐ろしさの塊(かたま)りといいましょうか、または苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りでした。石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに堅くなったのです。幸いな事にその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の後(のち)に、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐ失策(しま)ったと思いました。先(せん)を越されたなと思いました。
 しかしその先(さき)をどうしようという分別はまるで起りません。恐らく起るだけの余裕がなかったのでしょう。私は腋(わき)の下から出る気味のわるい汗が襯衣(シャツ)に滲(し)み透(とお)るのを凝(じっ)と我慢して動かずにいました。Kはその間(あいだ)いつもの通り重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくって堪(たま)りませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上に判然(はっき)りした字で貼(は)り付けられてあったろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気の付かないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分の事に一切(いっさい)を集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くて鈍(のろ)い代りに、とても容易な事では動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず掻(か)き乱されていましたから、細(こま)かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いった苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念が萌(きざ)し始めたのです。
 Kの話が一通り済んだ時、私は何ともいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいる方が得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたのではありません。ただ何事もいえなかったのです。またいう気にもならなかったのです。
 午食(ひるめし)の時、Kと私は向い合せに席を占めました。下女(げじょ)に給仕をしてもらって、私はいつにない不味(まず)い飯(めし)を済ませました。二人は食事中もほとんど口を利(き)きませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだか分りませんでした。


「二人は各自(めいめい)の室(へや)に引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かな事は朝と同じでした。私(わたくし)も凝(じっ)と考え込んでいました。
 私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が後(おく)れてしまったという気も起りました。なぜ先刻(さっき)Kの言葉を遮(さえぎ)って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手落(てぬか)りのように見えて来ました。せめてKの後(あと)に続いて、自分は自分の思う通りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。Kの自白に一段落が付いた今となって、こっちからまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に揺(ゆ)られてぐらぐらしました。
 私はKが再び仕切(しき)りの襖(ふすま)を開(あ)けて向うから突進してきてくれれば好(い)いと思いました。私にいわせれば、先刻はまるで不意撃(ふいうち)に会ったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという下心(したごころ)を持っていました。それで時々眼を上げて、襖を眺(なが)めました。しかしその襖はいつまで経(た)っても開(あ)きません。そうしてKは永久に静かなのです。
 その内(うち)私の頭は段々この静かさに掻(か)き乱されるようになって来ました。Kは今襖の向うで何を考えているだろうと思うと、それが気になって堪(たま)らないのです。不断もこんな風(ふう)にお互いが仕切一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりません。それでいて私はこっちから進んで襖を開ける事ができなかったのです。一旦(いったん)いいそびれた私は、また向うから働き掛けられる時機を待つより外(ほか)に仕方がなかったのです。
 しまいに私は凝(じっ)としておられなくなりました。無理に凝としていれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私は仕方なしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、何という目的もなく、鉄瓶(てつびん)の湯を湯呑(ゆのみ)に注(つい)で一杯呑みました。それから玄関へ出ました。私はわざとKの室を回避するようにして、こんな風に自分を往来の真中に見出(みいだ)したのです。私には無論どこへ行くという的(あて)もありません。ただ凝(じっ)としていられないだけでした。それで方角も何も構わずに、正月の町を、むやみに歩き廻(まわ)ったのです。私の頭はいくら歩いてもKの事でいっぱいになっていました。私もKを振(ふる)い落す気で歩き廻る訳ではなかったのです。むしろ自分から進んで彼の姿を咀嚼(そしゃく)しながらうろついていたのです。
 私には第一に彼が解(かい)しがたい男のように見えました。どうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋が募(つの)って来たのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知っていました。また彼の真面目(まじめ)な事を知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くをもっていると信じました。同時にこれからさき彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の室に凝(じっ)と坐(すわ)っている彼の容貌(ようぼう)を始終眼の前に描(えが)き出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底できないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼に祟(たた)られたのではなかろうかという気さえしました。
 私が疲れて宅(うち)へ帰った時、彼の室は依然として人気(ひとけ)のないように静かでした。


「私が家へはいると間もなく俥(くるま)の音が聞こえました。今のように護謨輪(ゴムわ)のない時分でしたから、がらがらいう厭(いや)な響(ひび)きがかなりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました。
 私が夕飯(ゆうめし)に呼び出されたのは、それから三十分ばかり経(た)った後(あと)の事でしたが、まだ奥さんとお嬢さんの晴着(はれぎ)が脱ぎ棄(す)てられたまま、次の室を乱雑に彩(いろど)っていました。二人は遅くなると私たちに済まないというので、飯の支度に間に合うように、急いで帰って来たのだそうです。しかし奥さんの親切はKと私とに取ってほとんど無効も同じ事でした。私は食卓に坐りながら、言葉を惜しがる人のように、素気(そっけ)ない挨拶(あいさつ)ばかりしていました。Kは私よりもなお寡言(かげん)でした。たまに親子連(おやこづれ)で外出した女二人の気分が、また平生(へいぜい)よりは勝(すぐ)れて晴れやかだったので、我々の態度はなおの事眼に付きます。奥さんは私にどうかしたのかと聞きました。私は少し心持が悪いと答えました。実際私は心持が悪かったのです。すると今度はお嬢さんがKに同じ問いを掛けました。Kは私のように心持が悪いとは答えません。ただ口が利(き)きたくないからだといいました。お嬢さんはなぜ口が利きたくないのかと追窮(ついきゅう)しました。私はその時ふと重たい瞼(まぶた)を上げてKの顔を見ました。私にはKが何と答えるだろうかという好奇心があったのです。Kの唇は例のように少し顫(ふる)えていました。それが知らない人から見ると、まるで返事に迷っているとしか思われないのです。お嬢さんは笑いながらまた何かむずかしい事を考えているのだろうといいました。Kの顔は心持薄赤くなりました。
 その晩私はいつもより早く床(とこ)へ入りました。私が食事の時気分が悪いといったのを気にして、奥さんは十時頃蕎麦湯(そばゆ)を持って来てくれました。しかし私の室(へや)はもう真暗(まっくら)でした。奥さんはおやおやといって、仕切りの襖(ふすま)を細目に開けました。洋燈(ランプ)の光がKの机から斜(なな)めにぼんやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きていたものとみえます。奥さんは枕元(まくらもと)に坐って、大方(おおかた)風邪(かぜ)を引いたのだろうから身体(からだ)を暖(あっ)ためるがいいといって、湯呑(ゆのみ)を顔の傍(そば)へ突き付けるのです。私はやむをえず、どろどろした蕎麦湯を奥さんの見ている前で飲みました。
 私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。無論一つ問題をぐるぐる廻転(かいてん)させるだけで、外(ほか)に何の効力もなかったのです。私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私は半ば無意識においと声を掛けました。すると向うでもおいと返事をしました。Kもまだ起きていたのです。私はまだ寝ないのかと襖ごしに聞きました。もう寝るという簡単な挨拶(あいさつ)がありました。何をしているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありません。その代り五、六分経ったと思う頃に、押入(おしいれ)をがらりと開けて、床(とこ)を延べる音が手に取るように聞こえました。私はもう何時(なんじ)かとまた尋ねました。Kは一時二十分だと答えました。やがて洋燈(ランプ)をふっと吹き消す音がして、家中(うちじゅう)が真暗なうちに、しんと静まりました。
 しかし私の眼はその暗いなかでいよいよ冴(さ)えて来るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けました。Kも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は今朝(けさ)彼から聞いた事について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、とうとうこっちから切り出しました。私は無論襖越(ふすまごし)にそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考えたのです。ところがKは先刻(さっき)から二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような素直(すなお)な調子で、今度は応じません。そうだなあと低い声で渋っています。私はまたはっと思わせられました。


「Kの生返事(なまへんじ)は翌日(よくじつ)になっても、その翌日になっても、彼の態度によく現われていました。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする気色(けしき)を決して見せませんでした。もっとも機会もなかったのです。奥さんとお嬢さんが揃(そろ)って一日宅(うち)を空(あ)けでもしなければ、二人はゆっくり落ち付いて、そういう事を話し合う訳にも行かないのですから。私(わたくし)はそれをよく心得ていました。心得ていながら、変にいらいらし出すのです。その結果始めは向うから来るのを待つつもりで、暗(あん)に用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。
 同時に私は黙って家(うち)のものの様子を観察して見ました。しかし奥さんの態度にもお嬢さんの素振(そぶり)にも、別に平生(へいぜい)と変った点はありませんでした。Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動にこれという差違が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で、肝心(かんじん)の本人にも、またその監督者たる奥さんにも、まだ通じていないのは慥(たし)かでした。そう考えた時私は少し安心しました。それで無理に機会を拵(こしら)えて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の与えてくれるものを取り逃さないようにする方が好かろうと思って、例の問題にはしばらく手を着けずにそっとしておく事にしました。
 こういってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、潮(しお)の満干(みちひ)と同じように、色々の高低(たかびく)があったのです。私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心がはたしてそこに現われている通りなのだろうかと疑(うたが)ってもみました。そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭(めいりょう)に偽(いつわ)りなく、盤上(ばんじょう)の数字を指し得(う)るものだろうかと考えました。要するに私は同じ事をこうも取り、ああも取りした揚句(あげく)、漸(ようや)くここに落ち付いたものと思って下さい。更にむずかしくいえば、落ち付くなどという言葉は、この際決して使われた義理でなかったのかも知れません。
 その内(うち)学校がまた始まりました。私たちは時間の同じ日には連れ立って宅(うち)を出ます。都合がよければ帰る時にもやはりいっしょに帰りました。外部から見たKと私は、何にも前と違ったところがないように親しくなったのです。けれども腹の中では、各自(てんでん)に各自(てんでん)の事を勝手に考えていたに違いありません。ある日私は突然往来でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているかの点にあったのです。私のこれから取るべき態度は、この問いに対する彼の答え次第で極(き)めなければならないと、私は思ったのです。すると彼は外(ほか)の人にはまだ誰(だれ)にも打ち明けていないと明言しました。私は事情が自分の推察通りだったので、内心嬉(うれ)しがりました。私はKの私より横着なのをよく知っていました。彼の度胸にも敵(かな)わないという自覚があったのです。けれども一方ではまた妙に彼を信じていました。学資の事で養家(ようか)を三年も欺(あざむ)いていた彼ですけれども、彼の信用は私に対して少しも損われていなかったのです。私はそれがためにかえって彼を信じ出したくらいです。だからいくら疑い深い私でも、明白な彼の答えを腹の中で否定する気は起りようがなかったのです。
 私はまた彼に向って、彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白についで、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。しかるに彼はそこになると、何にも答えません。黙って下を向いて歩き出します。私は彼に隠(かく)し立てをしてくれるな、すべて思った通りを話してくれと頼みました。彼は何も私に隠す必要はないと判然(はっきり)断言しました。しかし私の知ろうとする点には、一言(いちごん)の返事も与えないのです。私も往来だからわざわざ立ち留まって底(そこ)まで突き留める訳にいきません。ついそれなりにしてしまいました。


「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと引(ひ)っ繰(く)り返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。ご承知の通り図書館では他(ほか)の人の邪魔になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの所作(しょさ)は誰でもやる普通の事なのですが、私はその時に限って、一種変な心持がしました。
 Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から放しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に一物(いちもつ)があって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。
 二人は別に行く所もなかったので、竜岡町(たつおかちょう)から池(いけ)の端(はた)へ出て、上野(うえの)の公園の中へ入りました。その時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を綜合(そうごう)して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引(ひ)っ張(ぱ)り出(だ)したらしいのです。けれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵(ふち)に陥(おちい)った彼を、どんな眼で私が眺(なが)めるかという質問なのです。一言(いちごん)でいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は彼の平生(へいぜい)と異なる点を確かに認める事ができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は他(ひと)の思わくを憚(はば)かるほど弱くでき上ってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家(ようか)事件でその特色を強く胸の裏(うち)に彫(ほ)り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。
 私がKに向って、この際何(な)んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない悄然(しょうぜん)とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外(ほか)に仕方がないといいました。私は隙(す)かさず迷うという意味を聞き糺(ただ)しました。彼は進んでいいか退(しりぞ)いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇(かわ)き切った顔の上に慈雨(じう)の如く注(そそ)いでやったか分りません。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。


「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の身体(からだ)、すべて私という名の付くものを五分(ぶ)の隙間(すきま)もないように用意して、Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞(ようさい)の地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺(なが)める事ができたも同じでした。
 Kが理想と現実の間に彷徨(ほうこう)してふらふらしているのを発見した私は、ただ一打(ひとうち)で彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の虚(きょ)に付け込んだのです。私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽(こっけい)だの羞恥(しゅうち)だのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿(ばか)だ」といい放ちました。これは二人で房州(ぼうしゅう)を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐(ふくしゅう)ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言(いちごん)でKの前に横たわる恋の行手(ゆくて)を塞(ふさ)ごうとしたのです。
 Kは真宗寺(しんしゅうでら)に生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨(しゅうし)に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女(なんにょ)に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から精進(しょうじん)という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲(きんよく)という意味も籠(こも)っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲(せつよく)や禁欲(きんよく)は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害(さまたげ)になるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。その頃(ころ)からお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑(ぶべつ)の方が余計に現われていました。
 こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角(せっかく)積み上げた過去を蹴散(けち)らしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
 私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」
 Kはぴたりとそこへ立ち留(ど)まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那(せつな)に居直(いなお)り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の眼遣(めづか)いを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々(そろそろ)とまた歩き出しました。


「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗(あん)に待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。その時の私はたといKを騙(だま)し打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の傍(そば)へ来て、お前は卑怯(ひきょう)だと一言(ひとこと)私語(ささや)いてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私を窘(たしな)めるには余りに正直でした。余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。
 Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私はその時やっとKの眼を真向(まむき)に見る事ができたのです。Kは私より背(せい)の高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、狼(おおかみ)のごとき心を罪のない羊に向けたのです。
「もうその話は止(や)めよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと挨拶(あいさつ)ができなかったのです。するとKは、「止(や)めてくれ」と今度は頼むようにいい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。狼(おおかみ)が隙(すき)を見て羊の咽喉笛(のどぶえ)へ食(くら)い付くように。
「止(や)めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
 私がこういった時、背(せい)の高い彼は自然と私の前に萎縮(いしゅく)して小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通り頗(すこぶ)る強情(ごうじょう)な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない質(たち)だったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然(そつぜん)「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言(ひとりごと)のようでした。また夢の中の言葉のようでした。
 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川(こいしかわ)の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋(さび)しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味(あおみ)を失った杉の木立(こだち)の茶褐色(ちゃかっしょく)が、薄黒い空の中に、梢(こずえ)を並べて聳(そび)えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛(かじ)り付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台(ほんごうだい)を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡(おか)へ上(のぼ)るべく小石川の谷へ下りたのです。私はその頃(ころ)になって、ようやく外套(がいとう)の下に体(たい)の温味(あたたかみ)を感じ出したぐらいです。
 急いだためでもありましょうが、我々は帰り路(みち)にはほとんど口を聞きませんでした。宅(うち)へ帰って食卓に向った時、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて上野(うえの)へ行ったと答えました。奥さんはこの寒いのにといって驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります。私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。平生(へいぜい)から無口なKは、いつもよりなお黙っていました。奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、碌(ろく)な挨拶(あいさつ)はしませんでした。それから飯(めし)を呑(の)み込むように掻(か)き込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の室(へや)へ引き取りました。


「その頃(ころ)は覚醒(かくせい)とか新しい生活とかいう文字(もんじ)のまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、一意(いちい)に新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほど尊(たっと)い過去があったからです。彼はそのために今日(こんにち)まで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向って猛進しないといって、決してその愛の生温(なまぬる)い事を証拠立てる訳にはゆきません。いくら熾烈(しれつ)な感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏み留(とど)まって自分の過去を振り返らなければならなかったのです。そうすると過去が指し示す路(みち)を今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人のもたない強情(ごうじょう)と我慢がありました。私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。
 上野(うえの)から帰った晩は、私に取って比較的安静な夜(よ)でした。私はKが室(へや)へ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の傍(そば)に坐(すわ)り込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を翳(かざ)した後(あと)、自分の室に帰りました。外(ほか)の事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。
 私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の襖(ふすま)が二尺(しゃく)ばかり開(あ)いて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室には宵(よい)の通りまだ燈火(あかり)が点(つ)いているのです。急に世界の変った私は、少しの間(あいだ)口を利(き)く事もできずに、ぼうっとして、その光景を眺(なが)めていました。
 その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師(かげぼうし)のようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは洋燈(ランプ)の灯(ひ)を背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。
 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇(くらやみ)に帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝(よくあさ)になって、昨夕(ゆうべ)の事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それで飯(めし)を食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に判然(はっきり)した返事もしません。調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。
 その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょに宅(うち)を出ました。今朝(けさ)から昨夕の事が気に掛(かか)っている私は、途中でまたKを追窮(ついきゅう)しました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。昨日(きのう)上野で「その話はもう止(や)めよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を抑(おさ)え始めたのです。


「Kの果断に富んだ性格は私(わたくし)によく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔(ゆうじゅう)な訳も私にはちゃんと呑(の)み込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫(つら)まえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍(なんべん)も咀嚼(そしゃく)しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺(うご)き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶(はんもん)、懊悩(おうのう)、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳(たた)み込んでいるのではなかろうかと疑(うたぐ)り始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺(なが)め返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返(いっぺん)彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻(みまわ)したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼(めっかち)でした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図(いちず)に思い込んでしまったのです。
 私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない間(ま)に、事を運ばなくてはならないと覚悟を極(き)めました。私は黙って機会を覘(ねら)っていました。しかし二日経(た)っても三日経っても、私はそれを捕(つら)まえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった風(ふう)の日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。
 一週間の後(のち)私はとうとう堪え切れなくなって仮病(けびょう)を遣(つか)いました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事(なまへんじ)をしただけで、十時頃(ごろ)まで蒲団(ふとん)を被(かぶ)って寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家の内(なか)がひっそり静まった頃を見計(みはか)らって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。食物(たべもの)は枕元(まくらもと)へ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。身体(からだ)に異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつもの通り茶の間で飯(めし)を食いました。その時奥さんは長火鉢(ながひばち)の向側(むこうがわ)から給仕をしてくれたのです。私は朝飯(あさめし)とも午飯(ひるめし)とも片付かない茶椀(ちゃわん)を手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに屈托(くったく)していたから、外観からは実際気分の好(よ)くない病人らしく見えただろうと思います。
 私は飯を終(しま)って烟草(タバコ)を吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢の傍(そば)を離れる訳にゆきません。下女(げじょ)を呼んで膳(ぜん)を下げさせた上、鉄瓶(てつびん)に水を注(さ)したり、火鉢の縁(ふち)を拭(ふ)いたりして、私に調子を合わせています。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました。私は実は少し話したい事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました。奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。
 私は仕方なしに言葉の上で、好(い)い加減にうろつき廻(まわ)った末、Kが近頃(ちかごろ)何かいいはしなかったかと奥さんに聞いてみました。奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して来ました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くのです。


「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の嘘(うそ)を快(こころよ)からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、後(あと)を待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも少時(しばらく)返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を眺(なが)めていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに頓着(とんじゃく)などはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に貰(もら)いたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。
 それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように判然(はきはき)したところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「宜(よ)ござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて威張(いば)った口の利(き)ける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のない憐(あわ)れな子です」と後(あと)では向うから頼みました。
 話は簡単でかつ明瞭(めいりょう)に片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは掛(かか)らなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮(いこう)さえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥(こうでい)するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得(う)るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。
 自分の室(へや)へ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這(は)い込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。
 私は午頃(ひるごろ)また茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝(けさ)の話をお嬢さんに何時(いつ)通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古(けいこ)から帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合が好(い)いと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前に坐(すわ)って、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子を被(かぶ)って表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子を脱(と)って「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒(なお)ったのかと不思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋(すいどうばし)の方へ曲ってしまいました。


「私は猿楽町(さるがくちょう)から神保町(じんぼうちょう)の通りへ出て、小川町(おがわまち)の方へ曲りました。私がこの界隈(かいわい)を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺(てず)れのした書物などを眺(なが)める気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅(うち)の事を考えていました。私には先刻(さっき)の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また或(あ)る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。
 私はとうとう万世橋(まんせいばし)を渡って、明神(みょうじん)の坂を上がって、本郷台(ほんごうだい)へ来て、それからまた菊坂(きくざか)を下りて、しまいに小石川(こいしかわ)の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に跨(また)がって、いびつな円を描(えが)いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向(いっこう)分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得(う)るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
 Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子(こうし)を開けて、玄関から坐敷(ざしき)へ通る時、すなわち例のごとく彼の室(へや)を抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう癒(い)いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那(せつな)に、彼の前に手を突いて、詫(あや)まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野(こうや)の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
 夕飯(ゆうめし)の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉(うれ)しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今(ただいま)と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方(おおかた)極(きま)りが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮(ついきゅう)しに掛(か)かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。
 私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付(かおつき)で、事の成行(なりゆき)をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉(ことごと)く話されては堪(たま)らないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生(へいぜい)より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱(いだ)いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息(ひといき)して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵(こしら)えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯(ひきょう)な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭(いや)になったのです。


「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように刺戟(しげき)するのですから、私はなお辛(つら)かったのです。どこか男らしい気性を具(そな)えた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに素(すっ)ぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作(きょしどうさ)も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点をもっていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。
 私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない時にです。しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目(めんぼく)のないのに変りはありません。といって、拵(こしら)え事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問(きつもん)されるに極(きま)っています。もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱点を自分の愛人とその母親の前に曝(さら)け出さなければなりません。真面目(まじめ)な私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一分(ぶ)一厘(りん)でも、私には堪え切れない不幸のように見えました。
 要するに私は正直な路(みち)を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾(こうかつ)な男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければならない窮境(きゅうきょう)に陥(おちい)ったのです。私はあくまで滑った事を隠したがりました。同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟(はさ)まってまた立(た)ち竦(すく)みました。
 五、六日経(た)った後(のち)、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を詰(なじ)るのです。私はこの問いの前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。
「道理で妾(わたし)が話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生(へいぜい)あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」
 私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えました。しかし私は進んでもっと細(こま)かい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは固(もと)より何も隠す訳がありません。大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。
 奥さんのいうところを綜合(そうごう)して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口(ひとくち)いっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩(も)らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子(しょうじ)を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。奥さんの前に坐(すわ)っていた私は、その話を聞いて胸が塞(ふさが)るような苦しさを覚えました。


「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値(あたい)すべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼の方が遥(はる)かに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私の胸に渦巻いて起りました。私はその時さぞKが軽蔑(けいべつ)している事だろうと思って、一人で顔を赧(あか)らめました。しかし今更Kの前に出て、恥を掻(か)かせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛でした。
 私が進もうか止(よ)そうかと考えて、ともかくも翌日(あくるひ)まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すと慄然(ぞっ)とします。いつも東枕(ひがしまくら)で寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床(とこ)を敷いたのも、何かの因縁(いんねん)かも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の室(へや)との仕切(しきり)の襖(ふすま)が、この間の晩と同じくらい開(あ)いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に肱(ひじ)を突いて起き上がりながら、屹(きっ)とKの室を覗(のぞ)きました。洋燈(ランプ)が暗く点(とも)っているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団(かけぶとん)は跳返(はねかえ)されたように裾(すそ)の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに突(つ)ッ伏(ぷ)しているのです。
 私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの身体(からだ)は些(ちっ)とも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際(しきいぎわ)まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈(ランプ)の光で見廻(みまわ)してみました。
 その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目(ひとめ)見るや否(いな)や、あたかも硝子(ガラス)で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立(ぼうだ)ちに立(た)ち竦(すく)みました。それが疾風(しっぷう)のごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策(しま)ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄(ものすご)く照らしました。そうして私はがたがた顫(ふる)え出したのです。
 それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の名宛(なあて)になっていました。私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期したような事は何にも書いてありませんでした。私は私に取ってどんなに辛(つら)い文句がその中に書き列(つら)ねてあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの眼に触れたら、どんなに軽蔑されるかも知れないという恐怖があったのです。私はちょっと眼を通しただけで、まず助かったと思いました。(固(もと)より世間体(せけんてい)の上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、私にとっては非常な重大事件に見えたのです。)
 手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行(はくしじゃっこう)で到底行先(ゆくさき)の望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりとした文句でその後(あと)に付け加えてありました。世話ついでに死後の片付方(かたづけかた)も頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて済まんから宜(よろ)しく詫(わび)をしてくれという句もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要な事はみんな一口(ひとくち)ずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわざと回避したのだという事に気が付きました。しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨(すみ)の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。
 私は顫(ふる)える手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆(みん)なの眼に着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、襖(ふすま)に迸(ほとばし)っている血潮を始めて見たのです。


「私は突然Kの頭を抱(かか)えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔(しにがお)が一目(ひとめ)見たかったのです。しかし俯伏(うつぶ)しになっている彼の顔を、こうして下から覗(のぞ)き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。慄(ぞっ)としたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今触(さわ)った冷たい耳と、平生(へいぜい)に変らない五分刈(ごぶがり)の濃い髪の毛を少時(しばらく)眺(なが)めていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激(しげき)して起る単調な恐ろしさばかりではありません。私は忽然(こつぜん)と冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。
 私は何の分別(ふんべつ)もなくまた私の室(へや)に帰りました。そうして八畳の中をぐるぐる廻(まわ)り始めました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。檻(おり)の中へ入れられた熊(くま)のような態度で。
 私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪いという心持がすぐ私を遮(さえぎ)ります。奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないという強い意志が私を抑(おさ)えつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。
 私はその間に自分の室の洋燈(ランプ)を点(つ)けました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほど埒(らち)の明(あ)かない遅いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明(よあけ)に間(ま)もなかった事だけは明らかです。ぐるぐる廻(まわ)りながら、その夜明を待ち焦(こが)れた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。
 我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わないのです。下女(げじょ)はその関係で六時頃に起きる訳になっていました。しかしその日私が下女を起しに行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私の室(へや)まで来てくれと頼みました。奥さんは寝巻の上へ不断着(ふだんぎ)の羽織を引(ひ)っ掛(か)けて、私の後(あと)に跟(つ)いて来ました。私は室へはいるや否(いな)や、今まで開(あ)いていた仕切りの襖(ふすま)をすぐ立て切りました。そうして奥さんに飛んだ事ができたと小声で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は顋(あご)で隣の室を指すようにして、「驚いちゃいけません」といいました。奥さんは蒼(あお)い顔をしました。「奥さん、Kは自殺しました」と私がまたいいました。奥さんはそこに居竦(いすく)まったように、私の顔を見て黙っていました。その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」と詫(あや)まりました。私は奥さんと向い合うまで、そんな言葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしまったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんに詫(わ)びなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が平生(へいぜい)の私を出し抜いてふらふらと懺悔(ざんげ)の口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釈しなかったのは私にとって幸いでした。蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。しかしその顔には驚きと怖(おそ)れとが、彫(ほ)り付けられたように、硬(かた)く筋肉を攫(つか)んでいました。


「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの唐紙(からかみ)を開けました。その時Kの洋燈(ランプ)に油が尽きたと見えて、室(へや)の中はほとんど真暗(まっくら)でした。私は引き返して自分の洋燈を手に持ったまま、入口に立って奥さんを顧みました。奥さんは私の後ろから隠れるようにして、四畳の中を覗(のぞ)き込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開けてくれと私にいいました。
 それから後(あと)の奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人(びぼうじん)だけあって要領を得ていました。私は医者の所へも行きました。また警察へも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて行ったのです。奥さんはそうした手続(てつづき)の済むまで、誰もKの部屋へは入(い)れませんでした。
 Kは小さなナイフで頸動脈(けいどうみゃく)を切って一息(ひといき)に死んでしまったのです。外(ほか)に創(きず)らしいものは何にもありませんでした。私が夢のような薄暗い灯(ひ)で見た唐紙の血潮は、彼の頸筋(くびすじ)から一度に迸(ほとばし)ったものと知れました。私は日中(にっちゅう)の光で明らかにその迹(あと)を再び眺(なが)めました。そうして人間の血の勢(いきお)いというものの劇(はげ)しいのに驚きました。
 奥さんと私はできるだけの手際(てぎわ)と工夫を用いて、Kの室(へや)を掃除しました。彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団(ふとん)に吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末は[#「後始末は」は底本では「後始未は」]まだ楽でした。二人は彼の死骸(しがい)を私の室に入れて、不断の通り寝ている体(てい)に横にしました。私はそれから彼の実家へ電報を打ちに出たのです。
 私が帰った時は、Kの枕元(まくらもと)にもう線香が立てられていました。室へはいるとすぐ仏臭(ほとけくさ)い烟(けむり)で鼻を撲(う)たれた私は、その烟の中に坐(すわ)っている女二人を認めました。私がお嬢さんの顔を見たのは、昨夜来(さくやらい)この時が始めてでした。お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、どのくらい寛(くつ)ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴(いってき)の潤(うるおい)を与えてくれたものは、その時の悲しさでした。
 私は黙って二人の傍(そば)に坐っていました。奥さんは私にも線香を上げてやれといいます。私は線香を上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんは私には何ともいいません。たまに奥さんと一口(ひとくち)二口(ふたくち)言葉を換(か)わす事がありましたが、それは当座の用事についてのみでした。お嬢さんにはKの生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。私はそれでも昨夜(ゆうべ)の物凄(ものすご)い有様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい人に恐ろしいものを見せると、折角(せっかく)の美しさが、そのために破壊されてしまいそうで私は怖(こわ)かったのです。私の恐ろしさが私の髪の毛の末端まで来た時ですら、私はその考えを度外に置いて行動する事はできませんでした。私には綺麗(きれい)な花を罪もないのに妄(みだ)りに鞭(むち)うつと同じような不快がそのうちに籠(こも)っていたのです。
 国元からKの父と兄が出て来た時、私はKの遺骨をどこへ埋(う)めるかについて自分の意見を述べました。私は彼の生前に雑司ヶ谷(ぞうしがや)近辺をよくいっしょに散歩した事があります。Kにはそこが大変気に入っていたのです。それで私は笑談(じょうだん)半分(はんぶん)に、そんなに好きなら死んだらここへ埋めてやろうと約束した覚えがあるのです。私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へ葬(ほうむ)ったところで、どのくらいの功徳(くどく)になるものかとは思いました。けれども私は私の生きている限り、Kの墓の前に跪(ひざまず)いて月々私の懺悔(ざんげ)を新たにしたかったのです。今まで構い付けなかったKを、私が万事世話をして来たという義理もあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いてくれました。


「Kの葬式の帰り路(みち)に、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受けました。事件があって以来私はもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。奥さんもお嬢さんも、国から出て来たKの父兄も、通知を出した知り合いも、彼とは何の縁故もない新聞記者までも、必ず同様の質問を私に掛けない事はなかったのです。私の良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました。そうして私はこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。
 私の答えは誰に対しても同じでした。私はただ彼の私宛(あて)で書き残した手紙を繰り返すだけで、外(ほか)に一口(ひとくち)も附け加える事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たKの友人は、懐(ふところ)から一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながらその友人によって指し示された箇所を読みました。それにはKが父兄から勘当された結果厭世的(えんせいてき)な考えを起して自殺したと書いてあるのです。私は何にもいわずに、その新聞を畳(たた)んで友人の手に帰しました。友人はこの外(ほか)にもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。忙しいので、ほとんど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気にかかっていたところでした。私は何よりも宅(うち)のものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら堪(たま)らないと思っていたのです。私はその友人に外(ほか)に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答えました。
 私が今おる家へ引(ひ)っ越(こ)したのはそれから間もなくでした。奥さんもお嬢さんも前の所にいるのを厭(いや)がりますし、私もその夜(よ)の記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だったので、相談の上移る事に極(き)めたのです。
 移って二カ月ほどしてから私は無事に大学を卒業しました。卒業して半年も経(た)たないうちに、私はとうとうお嬢さんと結婚しました。外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度(めでたい)といわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒い影が随(つ)いていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。
 結婚した時お嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、妻(さい)といいます。――妻が、何を思い出したのか、二人でKの墓参(はかまい)りをしようといい出しました。私は意味もなくただぎょっとしました。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。妻は二人揃(そろ)ってお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろうというのです。私は何事も知らない妻の顔をしけじけ眺(なが)めていましたが、妻からなぜそんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。
 私は妻の望み通り二人連れ立って雑司ヶ谷(ぞうしがや)へ行きました。私は新しいKの墓へ水をかけて洗ってやりました。妻はその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私といっしょになった顛末(てんまつ)を述べてKに喜んでもらうつもりでしたろう。私は腹の中で、ただ自分が悪かったと繰り返すだけでした。
 その時妻はKの墓を撫(な)でてみて立派だと評していました。その墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行って見立(みた)てたりした因縁(いんねん)があるので、妻はとくにそういいたかったのでしょう。私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下に埋(うず)められたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の冷罵(れいば)を感ぜずにはいられなかったのです。私はそれ以後決して妻といっしょにKの墓参りをしない事にしました。


「私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実は私も初めからそれを恐れていたのです。年来の希望であった結婚すら、不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯に入(はい)る端緒(いとくち)になるかも知れないとも思ったのです。ところがいよいよ夫として朝夕妻(さい)と顔を合せてみると、私の果敢(はか)ない希望は手厳しい現実のために脆(もろ)くも破壊されてしまいました。私は妻と顔を合せているうちに、卒然(そつぜん)Kに脅(おびや)かされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映(うつ)ります。映るけれども、理由は解(わか)らないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう詰問(きつもん)を受けました。笑って済ませる時はそれで差支(さしつか)えないのですが、時によると、妻の癇(かん)も高(こう)じて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」とか、「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう怨言(えんげん)も聞かなくてはなりません。私はそのたびに苦しみました。
 私は一層(いっそ)思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑(おさ)え付けるのです。私を理解してくれるあなたの事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。その時分の私は妻に対して己(おの)れを飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に懺悔(ざんげ)の言葉を並べたなら、妻は嬉(うれ)し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印(いん)するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫(ひとしずく)の印気(インキ)でも容赦(ようしゃ)なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。
 一年経(た)ってもKを忘れる事のできなかった私の心は常に不安でした。私はこの不安を駆逐(くちく)するために書物に溺(おぼ)れようと力(つと)めました。私は猛烈な勢(いきおい)をもって勉強し始めたのです。そうしてその結果を世の中に公(おおやけ)にする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を拵(こしら)えて、無理にその目的の達せられる日を待つのは嘘(うそ)ですから不愉快です。私はどうしても書物のなかに心を埋(うず)めていられなくなりました。私はまた腕組みをして世の中を眺(なが)めだしたのです。
 妻はそれを今日(こんにち)に困らないから心に弛(たる)みが出るのだと観察していたようでした。妻の家にも親子二人ぐらいは坐(すわ)っていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差支(さしつか)えのない境遇にいたのですから、そう思われるのももっともです。私も幾分かスポイルされた気味がありましょう。しかし私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。叔父(おじ)に欺(あざむ)かれた当時の私は、他(ひと)の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他(ひと)を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己(おれ)は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事(みごと)に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他(ひと)に愛想(あいそ)を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。


「書物の中に自分を生埋(いきう)めにする事のできなかった私は、酒に魂を浸(ひた)して、己(おの)れを忘れようと試みた時期もあります。私は酒が好きだとはいいません。けれども飲めば飲める質(たち)でしたから、ただ量を頼みに心を盛(も)り潰(つぶ)そうと力(つと)めたのです。この浅薄(せんぱく)な方便はしばらくするうちに私をなお厭世的(えんせいてき)にしました。私は爛酔(らんすい)の真最中(まっさいちゅう)にふと自分の位置に気が付くのです。自分はわざとこんな真似(まね)をして己れを偽(いつわ)っている愚物(ぐぶつ)だという事に気が付くのです。すると身振(みぶる)いと共に眼も心も醒(さ)めてしまいます。時にはいくら飲んでもこうした仮装状態にさえ入(はい)り込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った後(あと)には、きっと沈鬱(ちんうつ)な反動があるのです。私は自分の最も愛している妻(さい)とその母親に、いつでもそこを見せなければならなかったのです。しかも彼らは彼らに自然な立場から私を解釈して掛(かか)ります。
 妻の母は時々気拙(きまず)い事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠していました。しかし自分は自分で、単独に私を責めなければ気が済まなかったらしいのです。責めるといっても、決して強い言葉ではありません。妻から何かいわれたために、私が激した例(ためし)はほとんどなかったくらいですから。妻はたびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それから私の未来のために酒を止(や)めろと忠告しました。ある時は泣いて「あなたはこの頃(ごろ)人間が違った」といいました。それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないと答えた事がありましたが、私の答えた意味と、妻の了解した意味とは全く違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する気にはなれませんでした。
 私は時々妻に詫(あや)まりました。それは多く酒に酔って遅く帰った翌日(あくるひ)の朝でした。妻は笑いました。あるいは黙っていました。たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。私はどっちにしても自分が不愉快で堪(たま)らなかったのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じ事になるのです。私はしまいに酒を止(や)めました。妻の忠告で止めたというより、自分で厭(いや)になったから止めたといった方が適当でしょう。
 酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、打(う)ち遣(や)って置きます。私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞(せきばく)でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。
 同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正(まさ)しく失恋のために死んだものとすぐ極(き)めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易(たやす)くは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋(さむ)しくって仕方がなくなった結果、急に所決(しょけつ)したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄(ぞっ)としたのです。私もKの歩いた路(みち)を、Kと同じように辿(たど)っているのだという予覚(よかく)が、折々風のように私の胸を横過(よこぎ)り始めたからです。


「その内妻(さい)の母が病気になりました。医者に見せると到底(とうてい)癒(なお)らないという診断でした。私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。これは病人自身のためでもありますし、また愛する妻のためでもありましたが、もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。私はそれまでにも何かしたくって堪(たま)らなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず懐手(ふところで)をしていたに違いありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善(い)い事をしたという自覚を得たのはこの時でした。私は罪滅(つみほろぼ)しとでも名づけなければならない、一種の気分に支配されていたのです。
 母は死にました。私と妻(さい)はたった二人ぎりになりました。妻は私に向って、これから世の中で頼りにするものは一人しかなくなったといいました。自分自身さえ頼りにする事のできない私は、妻の顔を見て思わず涙ぐみました。そうして妻を不幸な女だと思いました。また不幸な女だと口へ出してもいいました。妻はなぜだと聞きます。妻には私の意味が解(わか)らないのです。私もそれを説明してやる事ができないのです。妻は泣きました。私が不断(ふだん)からひねくれた考えで彼女を観察しているために、そんな事もいうようになるのだと恨(うら)みました。
 母の亡くなった後(あと)、私はできるだけ妻を親切に取り扱ってやりました。ただ、当人を愛していたからばかりではありません。私の親切には箇人(こじん)を離れてもっと広い背景があったようです。ちょうど妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしいのです。妻は満足らしく見えました。けれどもその満足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした稀薄(きはく)な点がどこかに含まれているようでした。しかし妻が私を理解し得たにしたところで、この物足りなさは増すとも減る気遣(きづか)いはなかったのです。女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉(うれ)しがる性質が、男よりも強いように思われますから。
 妻はある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。私はただ若い時ならなれるだろうと曖昧(あいまい)な返事をしておきました。妻は自分の過去を振り返って眺(なが)めているようでしたが、やがて微(かす)かな溜息(ためいき)を洩(も)らしました。
 私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃(ひらめ)きました。初めはそれが偶然外(そと)から襲って来るのです。私は驚きました。私はぞっとしました。しかししばらくしている中(うち)に、私の心がその物凄(ものすご)い閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜(ひそ)んでいるもののごとくに思われ出して来たのです。私はそうした心持になるたびに、自分の頭がどうかしたのではなかろうかと疑(うたぐ)ってみました。けれども私は医者にも誰にも診(み)てもらう気にはなりませんでした。
 私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月(まいげつ)行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍(ろぼう)の人から鞭(むち)うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。
 私がそう決心してから今日(こんにち)まで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻(さい)に対して非常に気の毒な気がします。


「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟(しげき)で躍(おど)り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否(いな)や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑(おさ)え付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言(いちげん)で直(すぐ)ぐたりと萎(しお)れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で他(ひと)の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷(ひや)やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。
 波瀾(はらん)も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。妻(さい)が見て歯痒(はがゆ)がる前に、私自身が何層倍(なんぞうばい)歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの牢屋(ろうや)の中(うち)に凝(じっ)としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟(ひっきょう)私にとって一番楽な努力で遂行(すいこう)できるものは自殺より外(ほか)にないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼を□(みは)るかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。
 私は今日(こんにち)に至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかし私はいつでも妻に心を惹(ひ)かされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲(ぎせい)として、妻の天寿(てんじゅ)を奪うなどという手荒(てあら)な所作(しょさ)は、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻(まわ)り合せがあります、二人を一束(ひとたば)にして火に燻(く)べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
 同時に私だけがいなくなった後(あと)の妻を想像してみるといかにも不憫(ふびん)でした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐(じゅっかい)を、私は腸(はらわた)に沁(し)み込むように記憶させられていたのです。私はいつも躊躇(ちゅうちょ)しました。妻の顔を見て、止(よ)してよかったと思う事もありました。そうしてまた凝(じっ)と竦(すく)んでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼で眺(なが)められるのです。
 記憶して下さい。私はこんな風(ふう)にして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉(かまくら)で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が括(く)ッ付(つ)いていました。私は妻(さい)のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘(うそ)を吐(つ)いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
 すると夏の暑い盛りに明治天皇(めいじてんのう)が崩御(ほうぎょ)になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後(あと)に生き残っているのは必竟(ひっきょう)時勢遅れだという感じが烈(はげ)しく私の胸を打ちました。私は明白(あから)さまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死(じゅんし)でもしたらよかろうと調戯(からか)いました。


「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生(へいぜい)使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談(じょうだん)を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。
 それから約一カ月ほど経(た)ちました。御大葬(ごたいそう)の夜私はいつもの通り書斎に坐(すわ)って、相図(あいず)の号砲(ごうほう)を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将(のぎたいしょう)の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。
 私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争(せいなんせんそう)の時敵に旗を奪(と)られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日(こんにち)まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月(としつき)を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間(あいだ)死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那(いっせつな)が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
 それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解(わか)らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑(の)み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人(こじん)のもって生れた性格の相違といった方が確(たし)かかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己(おの)れを尽(つく)したつもりです。
 私は妻(さい)を残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは仕合(しあわ)せです。私は妻に残酷な驚怖(きょうふ)を与える事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない間(ま)に、こっそりこの世からいなくなるようにします。私は死んだ後で、妻から頓死(とんし)したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。
 私が死のうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分はあなたにこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい。始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書いてみると、かえってその方が自分を判然(はっきり)描(えが)き出す事ができたような心持がして嬉(うれ)しいのです。私は酔興(すいきょう)に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外(ほか)に誰も語り得るものはないのですから、それを偽(いつわ)りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。渡辺華山(わたなべかざん)は邯鄲(かんたん)という画(え)を描(か)くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達(せんだっ)て聞きました。他(ひと)から見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当人相応の要求が心の中(うち)にあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私の努力も単にあなたに対する約束を果たすためばかりではありません。半(なか)ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。
 しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる頃(ころ)には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷(いちがや)の叔母(おば)の所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったのです。私は妻の留守の間(あいだ)に、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はすぐそれを隠しました。
 私は私の過去を善悪ともに他(ひと)の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己(おの)れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一(ゆいいつ)の希望なのですから、私が死んだ後(あと)でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」

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